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輝く浦東、29年の歴史を振り返る

上海浦東 2019-04-23

1990年、党中央と国務院の決定により、不況の波をかぶっていた上海は浦東新区の開発・開放に着手した。改革開放という背景の下で、上海浦東はこの時から新しいページをめくったという。

1999年:変化と成長

1999年、9年の成長にわたり、かつて古い住宅が密集する地域であった浦東は、高層ビルや工場が林立する地域となり、著しく変貌した。楊浦・南浦・徐浦という三つの大橋が黄浦江に架かり、浦東国際空港と地下鉄2号線が運営に入ったほか、電車の軌道や自動化コンテナ埠頭、長江を貫通するトンネルなどの交通インフラも次々と着工した。

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上海楊浦大橋

また、外高橋保税区や金橋輸出加工区、張江ハイテクパークが設立され、だんだんと浦東新区の核心としての機能を発揮し、国内外の企業を誘致した。アメリカのシティバンク銀行、中国香港の上海銀行、日本の三菱銀行など、38社の外資系銀行・証券取引所・保険機構が浦東新区に進出し、うちの19社はすでに人民元業務の運営許可を取得した。これは中国の金融分野における改革開放の道で画期的な一歩という。

データから見ると、浦東の国内総生産(GDP)は9年前の60億元(1元は約16.7円)から708.85億元まで躍増し、年平均成長率(CAGR)は21.3%。さらに驚くべきことには、浦東は上海市1/10の人口、1/12の面積だけを持っている割に、1/5の国内総生産・工業総生産・銀行預金残高及び1/4の輸出額、1/3の外資輸入額を占めていたという。

2009年:夢と希望

2009年、上海南匯区を浦東新区に合併することが国務院により批准され、「大浦東」を建設する構想も現実となった。この新しい浦東新区は、翌年の上海万博の開催地として選ばれ、世界で脚光を浴びった。上海世博園行きの地下鉄7号線の竣工をはじめ、浦東は車道の幅を広げたり、ボランティアを募ったりして、万博のために万全の準備を整えた。

同時、浦東で中国大陸初めてのディズニーランドを建設する計画(上海ディズニーランドプロジェクト)も国家の許可を得って順調に進んでいた。ある専門家は、上海ディズニーランドは将来、1兆元の国内総生産、百万人の雇用機会を創出すると述べ、このプロジェクトに大きな希望を寄せた(上海ディズニーランドの2016年開園から2017年6月まで来場者数は1100万人となり、確実に大きな成功を収めた)。

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上海ディズニーランド

2019年:新しい未来へ

2018年、浦東新区の国内総生産が1兆元を突破し、企業を対象とする減税の規模は162.8億元に達し、企業の業務に関する手続きを簡素化する「オンライン・ワンストップ」と「一窓通(一つの窓口で手続きを済ませること)」サービスも実現された。一方、「互聯網+(インターネットプラス)」などの新興分野が迅速に発展し、浦東の開発・開放に新しい活力を注入した。

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浦東の現在の姿

では2019年現在、開発・開放が開始してから29年を迎えた浦東は、どんな未来が待つだろう。一緒に楽しみにしましょう!