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工業バラック区から世界の客間 「逆襲」の浦東万博エリア

上海浦東 2020-07-30

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写真・浦東発布

「2002年12月3日、我が国の万博招致が成功とのニュースが伝えられたその夜、上鋼、南碼頭、周家渡という3つの街道の住民たちが歌ったり踊ったりして慶祝していた。花火を上げていたバラック区の住民もいた。皆さんがこのエリアにおける明るい見通しを持っていたのだ」と上海自由貿易試験区万博管理局の陶冶元副局長は2010年万博開催決定当時の光景をはっきりと覚えていた。

2年前に定年退職したが、陶冶元副局長は時折中華芸術宮、すなわち昔の万博中国館に寄って、展示会を観ったり、写真を撮ったりしていた。10年前、あの賑やかな中国館がいまだに陶冶元副局長の目に焼き付いているだろう。

万博の閉幕直後、万博エリアの開発が正式的に開始された。陶冶元副局長によると、万博開催当初、「幕引きのない万博を開催する」という提案があった。これは「万博精神の伝承」を言っており、万博のスローガン、「より良い都市、より良い暮らし」をめぐって、「ポスト万博」時代の開発はこのエリアをどのように良くするのか、万博精神をどうのように表すのかに焦点を当ててきた。

「エリアの開発にはまずその機能や位置づけを確立しなければならない。ハイテクでは、張江と比べるものではない。金融では、2つ目の陸家嘴になるわけがない。何回も検討した結果、万博エリアを現代サービス業や文化レジャー産業の要素を取り入れた文化クリエーション集積地として築くことにした」。一軸四館(万博軸、中国館、万博テーマ館、万博センター、万博文化センター)のほか、万博文化パークや上海オペラハウスなどの重要なプロジェクトが立ち上げられたのも万博エリアの位置づけに基づいたのだと陶冶元副局長は指摘した。

現在の万博エリアは、「世界の客間」を目指して建設に取り組み、公共空間の質的向上をはかり、高水準のイベントや大会を開き、上海国際文化大都会建設における中心的な役割を果たし、上海代表的文化の主な展示エリア、上海公共文化消費の集積地になっていくという。